こんにちは。
あなたはNHKで放送していた大河ドラマ「徳川家康」をご存じですか?
えっ、知らない・・・ですか?
ちょっと、いやだいぶ古かったですね。
では武田鉄矢さんが主演していた「3年B組金八先生」なら覚えていますか?
こちらは私もよく見ていましたのでとても懐かしいです。
この脚本を担当されたのが小山内美江子さんですが、ここ数年は話題になる事もなくなりどうされているかと思っていましたら、あるニュースが飛び込んできました。
そのニュースとは何か、また今はどうされているのか気になりましたので調べてみました。
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小山内美江子のプロフィール紹介
小山内美江子(おさない みえこ)
本名 : 笹平 美江子(ささひら みえこ)
生年月日 : 1930年1月8日
出身 : 神奈川県横浜市
出身校 : 鶴見高等女学校(現鶴見大学附属高等学校)卒業
本当は映画監督になりたかったとのことですが、当時の映画界では女性には無理とされてしまったようです。
そこで21歳の時に映画の記録係となって映像の世界と関わっていくことになりました。
今から50年以上も前の女性としては、なんとも進んだ考えを持っていた方と言えますが、今思えばもったいなかったですね。
もし小山内さんがこの時に監督になっていたら、日本の女性監督第一号となっていたに違いありません。
そして感動的な作品を次々と発表していたかと思うと、ちょっと残念です。
デビューから脚光を浴び・そして降板するまで
脚本家としてデビュー
小山内美江子さんが映画の記録係から現在の仕事である脚本家として活動をしていくには、長男の出産が一つのきっかけになっています。
初めての脚本を手掛けたのが1992年と言いますからずいぶんと昔のことになりますね。
また、いきなりNHKのドラマで脚本家デビューというのもすごい話です。
きっと当時、映画の仕事をしていた関係上、脚本の仕事をする機会が得られたのでしょう。
確かに運もあるかと思いますが、現実には才能がなければ脚本の仕事などできないものです。
まぁ私には到底不可能な分野です。
何故かというと自慢ではありあませんが、芸術にはまったくといってもいいほどに才能がなく、特に絵を描くのが苦手です。
だって抽象画ってあるじゃないですか。
私の絵はその抽象画を抽象画で表現した感じです。(つまり何の絵だかよくわからないくらいです)
ちょっと話がそれてしまいましたね。
ブログを更新しました。 『金八先生の言葉‼️ 心に染み入ります。』https://t.co/CpKuWmptLs#いい言葉#3年B組金八先生#アメブロ
— ブレイクスルー(挑戦と現状打破) (@718osk) 2016年10月19日
脚本家として脚光を浴びる作品の誕生
そんな小山内美江子さんですが脚本家としてグングン頭角を現していきます。
そして様々なドラマを手掛けるのですが、私たちがよく知るようになったのはやはり「3年B組金八先生」ではなかったでしょうか?
大人気となったこのシリーズですが2011年のファイナル「最後の贈る言葉」まで続きます。
この間32年間にも渡る息の長いドラマとなりました。
いや~実に長いですね。
途中空いた期間はありますが、よくこれだけ何シリーズも続いたものです。
だってこのドラマが始まった年に生まれた方は、もう成人してお父さんやお母さんになってもおかしくない年齢になっているんですから。
ほんとすごいですよ。
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人気ドラマの脚本を降板するとき
小山内美江子さんは第7シリーズ途中までの脚本を担当されていました。
途中、2005年分からは清水有生さんという方が脚本を書かれていますね。
このときの小山内さんは”ガン”と闘っていたと言います。
ただし脚本の執筆活動には影響がなかったと本人は語っています。
さらにこれは自らの降板ではなくテレビ局側(TBS)によって更迭さてれた、つまり一方的に変えられてしまったと主張していました。
行き違いはそれ以前からあったようで、このあたりが原因なのかもしれません。
でもこれって、降板の時に説明や本人の同意がなかったんですかねぇ。
もしかして、そんなものはいらない世界・・・だとすると怖いですよね。
そのあたりがはっきりしませんが、その後和解をしているので丸く収まったのでしょう。
ところで小山内さんに代わって脚本をかいた清水有生(しみずゆうき)さんですがNHKの連続ドラマ「あぐり」や「すずらん」の脚本を書かれています。
また現在は俳優としても活躍されているようです。
現在の小山内美江子さんはどうしてる?
ボランティア活動をおこなう
現在の小山内さんは脚本家としては活動されていないのでしょうか?
テレビドラマをみても小山内さん脚本のドラマが見当たりませんね。
今年86歳という年齢が関係あるかわかりませんが、もう脚本を書かれない可能性があります。
そして、今は「JHP・学校を作る会」という特定非営利活動法人の代表をされています。
この団体はカンボジアに学校を作る活動をしていて、建設中のものを含めると340棟以上にもなっているそうです。
またカンボジアだけでなくラオスやネパールといった国々へも支援をしており、教育の向上のために尽力されています。
国際協力活動をされるようになったのは1990年の母親の死と湾岸戦争がきっかけになっているようです。
3年B組金八先生という教育に関係したドラマも、小山内さんの心に影響を与えたのかもしれません。
ここで冒頭でのニュースについてですが、小山内さんは横浜の豪邸を売却したというのです。
この理由はカンボジアに学校を作るためだと思われます。
そして実行力もすごいとしか言いようがありませんし、マネなんてできないです。
いかに本気なのかを形で表した小山内さんにはきっと考えるところがあったのでしょう。
家族について
息子さんがお一人いらっしゃるようですね。
俳優の利重剛(りじゅう ごう)さんですが現在は映画監督としても活動されています。
利重さんは1962年の生まれですから今年54歳です。
現在の奥さんはプリンセス・プリンセスの今野登茂子さんで再婚になります。
そう言えばプリプリって確か2012年に再結成して、今年活動を終えたんでしたね。
今でこそロックを歌う女性バンドは増えましたが、彼女たちがデビューしたての頃には少なかったのではないでしょうか。
これからは女性ロックバンドももっともっと表舞台に立ってほしいものです。
まとめ
今ではボランティア活動に力を入れておられる小山内美江子さん。
脚本家としてバリバリ働いていたときと違った環境の中で、また別のご苦労があると思います。
ボランティアって簡単にいいますが、これって結構大変なんですよね。
だって知らない人のために働くんですよ。
それを長年続けているのはとても立派なことで、今の私に同じことができるかと言えば正直自信ないです。
でも、ある意味ほんの小さなことができれば、それをきっかけに変われるのではないでしょうか?
小さなことの繰り返しで誰かのために役立てるなんて素晴らしい。
これを喜びにできるよう、私もまずは自分のまわりから始めてみたいと思います。
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