こんにちは、ぶろじんです。
今日の話題はファッションデザイナーの島田順子さんについてです。
1981年にパリコレクションにデビューして以来、毎年参加し続けており、30年以上も続けているのは凄いの一言ですね。
デザイナー「JUNKO SHIMADA」として有名な島田さんですが、デザイナーになった理由やご家族、そして個性的な髪型についてまとめてみました。
では見ていきましょう。
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島田順子がデザイナーになった理由は?
名前 :島田順子(しまだ じゅんこ)
本名 :山地順子(やまじ じゅんこ)
生年月日:1941年7月7日
出身地 :千葉県館山市
出身校 :杉野学園ドレスメーカー女学院デザイナー科
母親の勧めで洋裁の道を選んだ島田さんは、専修学校へと進学し1963年に卒業されています。
そして1966年にフランスに渡ることになるのです。
ですが、この時はまだファッションデザイナーを目指していたわけではありませんでした。渡仏の理由は「パリに行きたい!」一心だったと言います。
では、どうしてパリなのか?
それは大好きなヌーベルバーグの映画の中に自分を立たせてみたかったそうなんです。
何か夢がある話ですねぇ。やりたいことがあったときに思い切って飛び込んでいける人が羨ましいです、ホント。
結果は誰にも分かりませんが、そこで人生が変わることは間違いありません。
そんな島田さんがデザイナーになれたのは偶然だったと語っており、そこには幸運な出会いや巡り合わせがありました。
事実、プランタン・デパートを紹介してもらったのも、カフェで声をかけられたのが始まりです。
その時にチーフのような立場にあったクロエル・ブリントンという人と面接をおこない、その結果として研究所に勤めることになります。
それも、このときはまだ何もできない状態だったとか…。
それでも採用されるなんて幸運を通り越して、強運としか言いようがありませんね。普通なら追い返されるのが当たり前です。
その後1970年にデザイナー集団マフィアに入り、デザイナーとして腕を磨くことになります。
さらに、1975年にはフランスでも大手のアパレルメーカーであるジャン・キャシャレルに入社してチーフデザイナーまで務めたのでした。
こうして経験を積みながら1981年には独立して「JUNKO SHIMADA DESIGN STUDIO」を設立。
それだけでなく、パリコレクションにおいてもデビューを果たすことになるのでした。
現在もパリと東京でコレクションに参加しており、新作を発表し続けています。
パリコレを休まず続けている理由について、一度でも止まったらその人が終わりだと考えていると言います。
万が一にも止まってしまったら、再スタートをしても上手くいことがあまりないからなのだそうです。
それに今の立場は自分だけでなく、周りのスタッフの生活がかかっている現実があることも理由のようですね。
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家族(夫・娘)や個性的な髪型について
これまでファッションという華やかな世界で仕事をされていますが、私生活では波乱も経験されていました。
1976年、35歳の時に娘さんを出産されています。
ですがこの時、父親で雑誌ファサード-マガジンの創設者のアラン・ブノストさんとは結婚しておらず未婚の母となったのでした。
その後、1988年に2歳年下の山地三六郎さんと結婚されています。
山地さんは太平洋海運株式会社(現在は日本郵船の子会社)の創業家出身で社長まで務めた方です。
出会いは島田さんが42歳の時に山地さんの誕生日パーティーに同席したのが最初でした。
ただ、このときは失恋のショックで5年位泣いていて全くその気もなかったそうで、山地さんにもお付き合いしている方がいたと言います。
とはいえ5年付き合った後に結婚。このとき47歳になっていました。
ですが、結婚してからもパリと東京を往復する生活は変わらず、遠距離婚が続いていたようですね。
2011年4月に山地さんはお亡くなりになっていますが、旦那さんから初めてもらった指輪は今でも大切にされているそうです。
過去に泥棒に入られた時も、この指輪だけは残っていたと言うのも何か特別なものを感じずにはいられません。
そんな島田さんの娘さんですが、名前は今日子(きょうこ)さんとおっしゃいます。
すでに6歳の子供さんもいらっしゃいます。名前は今ちゃん。
現在は同居されているそうです。
スタイリストをされた後、1999年~2007年までは「Junk by Junko Shimada」でデザイナーをしていました。
お母さんのブランドになりますが、きっとこの頃はデザイナーとしてスキルアップを図っていたのかもしれませんね。
2010年からはファッションと乗馬を融合させたオリジナルブランドである「ラヴァリエール」を立ち上げています。
引用元:http://www.haibao.com/notes/article/1580675.htm
ところで島田順子さんは個性的な髪型をされていますよね。
ご本人に言わせると美容院が苦手だそうで、セットもカットも自分でされているそうです。
ただしカットにはこだわりがあって、満月の夜に切っていると言います。これは占いの人に言われたからとか。
以前は三つ編みにされていたこともあるみたいで、中国の「おまじない」にあやかったものでした。
意外とそういうのを信じるところは乙女の心理なんでしょうか…年上の女性に失礼ですが可愛いですね。
まとめ
今回はファッションデザイナーの島田順子さんについてでした。
何十年もデザイナーをされていると、デザインのアイディアが浮かばないこともあるんだろうと思っていました。
でも島田さんの場合は、水車で水が休むことなく流れてくるみたいに次から次へと出てくると言います。
これ才能ですよ。やっぱり天性のものなのかも知れませんね。
2017年には76歳になられましたが、これからも素晴らしいファッションデザイナーであり続けてほしいと願っています。
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