こんにちは、ぶろじんです。
今日の話題はイエスの方舟事件とシオンの娘についてです。
この事件では千石イエスと呼ばれる人物の宗教団体に入信した女性たちが家出し、家族から捜索願が出されるといったことが起こりました。
あれから30年以上の月日がながれ、当時の人たちは一体どうしているのでしょうか?
私もこの事件についてはあまりよく知りませんでしたので調べてみました。
すると今まで思っていたことと異なる意外な事がわかりました。
その辺りを一緒に見ていきましょう。
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イエスの方舟事件の千石剛賢とは?
イエスの方舟とは千石イエスと呼ばれた千石剛賢さんが中心となっていたキリスト教信仰集団です。
- 名前 :千石剛賢(せんごく たけよし)
- 生年月日:1923年7月12日
- 出身地 :兵庫県有田村(現・加西市)
- 出身校 :有田高小
- 没年 :2001年12月11日
千石剛賢さんの実家は裕福な資産家で、終戦後は自営業やレストランの支配人などの職業を転々としていたそうです。
1951年にキリスト教と出合い1952年から大阪の堺市内にあった「聖書研究会」に通い始めました。
1960年、東京に「極東キリスト集会」という名前で10名の会員と共同生活を始めます。
1975年頃には「イエスの方舟」と名前を変えて会員も26人に増えていました。
しかし1979年の暮れになってから、雑誌「婦人公論」に「千石イエスよ、わが娘を返せ」と題して手記が掲載された事によって世間に広く知られるようになります。
そして誘拐や監禁と言った疑いをかけられ、それを逃れるように全国を転々とする日々が2年近くも続きました。
さらに警察が調査に動いたことよってイエスの方舟はカルト教団とされてしまうのでした。
これが「イエスの方舟」事件と言われるものです。
ですが実は報道被害といえるもので、誤解されていた部分もあったのです。
「サンデー毎日」による報道で真相が語られることにより、強制ではなく会員たちの意志によって千石さんの元に集まっていたことがわかりました。
悩める娘たちは千石の難色を押し切って、親の了解なく「方舟」に居つき、俗世にはありえないはずの安息を手放そうとしなかったのだ。
最終的に会員の女性たちは実家に帰り、千石さんも逮捕はされませんでした。
その後1980年には福岡県の中洲に「シオンの娘」というクラブを開きました。一度は家に戻った会員たちのほどんどがまた千石さんの元に戻ったと言います。
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シオンの娘の現在や場所も調べた
千石さんは2001年に78歳で他界されていますが、その後「イエスの方舟」や「シオンの娘」はどうなっているのでしょう。
調べてみるとイエスの方舟は現在もあるようです。
引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/asaboketora/63111328.html
引用元:http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200711160197.html
千石さんがなくなった後は妻であったまさ子さんが主幹としてまとめていました。
三女の恵さんと雄太さんが副主幹になっていたようです。
「肉体は滅びても、おっちゃんは生き続けています。私たちを置き去りにせず、より一層、一体になっている」
この言葉が示すように、いまだに千石さんは彼女たちの心の中で健在なようです。
また、クラブ「シオンの娘」も営業されているようですね。
ただし、お店で働いているのは当時の女性ではないみたいですよ。
ちょっと安心?ですかね。
さすがに当時の皆さんだとすると、失礼ですが○□×△のような気がします。
でも、覗いてみたいような…。
博多に行く機会があったら、一度訪ねてみるのも良いかもしれませんね。
引用元:http://blogs.yahoo.co.jp/asaboketora/63111328.html
昨日、中洲で見つけたクラブ。入る勇気なかったけど、こんなとこの専属歌手になりたいな。情報求む#博多 #中洲 #ナイトクラブ #シオンの娘 pic.twitter.com/XchDTuxTzH
— モンシェリー湯川 (@mennaichidori) 2016年12月28日
まとめ
今回はイエスの方舟事件とシオンの娘についてでした。
宗教問題は実にむずかしいですね。
私も昔は勧誘されたっことがありましたが、当時どれも評判のよくないものばかりでした。
もちろん断りはしましたが、気持ちが沈んでいて何かに頼りたいタイミングだったらと考えるとちょっと怖くなります。
決して全部が悪いものとは言えませんし、またその反対もあるでしょう。
もし仮に宗教に接することになったら慎重に考えて判断しなければいけないと思います。
それは自分の人生を180度変えてしまうかもしれないのですから。
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